職場の教養|鬼は内
鬼は内
昨日は「季節の分かれ目」を意味する「節分」でした。
寒い冬を越え、草木が芽吹く春の訪れを感じる時期です。
各地で豆まきの声が響き渡ったことでしょう。
一般的には、邪気を払い一年の無病息災を祈願するために、「鬼は外、福は内」の掛け声で豆をまきます。
古くは鬼を払う儀式「追儺」と呼ばれていました。
京都府福知山市の大原神社では、全国的にも珍しく「鬼は内、福は外」と声を発し、本来は忌避(きひ)される対象の鬼(厄)を神社に招き入れます。
これは、福を自らの懐に置かず、氏子(うじこ)である各家庭へ送るという目的で毎年開催されています。
また、群馬県藤岡市の鬼石(おにし)地区では、この日に合わせて「鬼恋節分祭(おにこいせつぶんさい)」が開催されます。
この祭りでも「鬼は内」と言い、年男や年女が各地から追い出された鬼を呼び込むという、この地域ならではの風習を残しています。
鬼は人々から嫌われる存在ですが、これらの地域では慈しむ心を持って迎え入れます。
この伝統から学び、私たちも固定観念に縛られず、恐れや不安にとらわれずに、どんな経験も自らの福に転じられるような働きを心がけましょう。今日の心がけ◆地域の伝統から学びましょう
職場の教養 2025年2月号
感想例①
全国どこでも「鬼は外」だと思っていたので、地域によって異なる受け止め方があることを知り、とても新鮮な気持ちになりました。
特に、「福を各家庭へ送る」という考え方に深い思いやりを感じ、心が温かくなりました。
自分の中に良いものを抱え込むのではなく、周りにも分け与えていこうとする精神は、現代社会でも大切だと感じます。
また、「追い出された鬼を受け入れる」という発想には、誰かを排除するのではなく、包みこむ優しさを感じました。
追い出された鬼まで受け入れちゃうという発想が、なんだかすごく粋だなって思います。
この話から、物事を違う角度から見る大切さと、寛容な心の持ち方を学ばせていただきました。
感想例②
ちょっと引っかかったのが「氏子のために福を送り出す」という考え方です。
これって、現代の組織にも似たような構図があるような気がして。例えば私の会社でも「社員のため」って言いながら、実は重荷を押し付けているんじゃないかって。
先日も「福利厚生の一環です」って、社員旅行への参加を強く求められました。でも、プライベートな時間を潰されるのは、本当に「福」なんでしょうか。
実家が神社の氏子だった友人も「お祭りの手伝いは伝統だから」って、休みを潰されることが多かったって言ってました。
結局のところ、「あなたのため」って言われると断りづらくて。その善意が、時として重荷になることもあるんですよね。
伝統はすばらしいですが、古い形式だけが残っているようだと、問題だなと思います。
感想例③
変な話なんですが、私の植物育ての失敗談を思い出しました。
去年、ベランダの観葉植物に毛虫が付いちゃって、最初は「やっちゃったな、もう捨てるしかないかな」って思ったんです。
でも諦めきれずに調べてみたら、その毛虫が実は珍しい種類の蝶の幼虫だったみたいで。
結局、葉っぱは食べられちゃいましたが、きれいな蝶の誕生を見届けられて、思わぬ贈り物をもらった気分でした。
だから今では「虫が付く」っていう厄介事も、違う角度から見ると、何か新しい「福」なのかもって、ちょっと思います。